完全に理解させることを目指さない

 

 平安時代に書かれた伊勢物語という創作物に関して、その作中において主人公の感情を花や季節で表現するなど曖昧で回りくどい描写が為されており、わざわざそのような曖昧な言い回しをする理由は、作者が抱いているイメージを読者に押し付けないための措置なのだとか。

 一見すると別になんてことのない技法のように思えるが、創作に取り組むにおいてはこれは地味に超重要な心構えのように思えます。

 というのも個人的に、これまでは文章とはいかに正確に純度を保ったまま作者の考えやイメージを読み手に伝えられるかが重要であると考えていたためです。

 しかしよくよく考えてみると、それだとただの報告書と変わらない。 それなら創作とは一体何なのか?

 思うに、小説に限らず音楽でもイラストでも詩でも歌でもゲームでも、基本的にユーザーというのはその媒体を通じて自分の脳内に生じたイメージや印象を楽しんでいるのであって、創作物というものはそのきっかけを読者に提供するための装置にすぎないのかもしれません。

 だから作者がどんなイメージや主義主張、理想を持っていたとしても、そんなものはユーザーには一切関係のないものなんだから、それは作品に込めるべきではなくて、詳細なイメージはユーザーに委ねることを意識して言葉を提示できる作品が、より愛されるものになるんじゃないかなと思った次第です。

 まあ、それが分かっていてもつい我を出したくなるのが人間の性というものなんですけどね。

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