最近の日本や世界では様々な問題や価値観の対立が起きていて不安感が募る混沌とした日々となっています。 私自身もそれらについては色々と言いたいことも思う所もあるわけで、まあ散々あれやこれやと考えて随分と精神力を消耗してきたわけです。
しかし最近思うのは、世の中結局は何をどうやったって成るようにしか成らないって事も多いと思うんですよね。 例えそれが自分が大切にしているものをぶち壊す最悪の展開であったとしても。
この世界は個人がどうこうできる範囲をあまりにも大きく超えていて、その上自分より圧倒的に影響力がある人たちがいて何もかもが自分の管轄外で、つまるところ一般人目線から見た国とか社会みたいな大きな枠組みでの戦いは最初から詰んでいたんじゃないかと思います。
物理で剛体という絶対に動かない圧倒的質量の物体に力を加えて、ちょっとでも動かせなければどれだけの圧倒的な超パワーを加えていたとしても扱いは0と同じ、とかいう考え方があったと思うのですが、世の中の大きな動きはたぶんこれと同じもので、非常に悔しい話ですがこれを変えようとするのは割と無駄な努力みたいな所があると思います。
ただ個人レベルの局所的な戦いはまだ幾分かやりようは残っていると思っていて、例えばの話をしたいのですが、ゼルダの伝説というゲームの何作目かの作品で、暗闇に覆われた広大な地下空間が登場するナンバリングがあります。
その地下世界って言うのがとにかく真っ暗闇でまさしく視界0の不毛の岩地が広がっているだけで、ただそんな中にたまに木の根っこみたいなワープポイントがあって、そこに接触すると地上の光が少しだけ届くんですね。 すると地上の光が届いたその周囲はほんの少し明るくなって青々とした草が生えたりして中々いい感じになる訳です。
↓これ
要は人生なんてのはこれで良いと思うんですよ、世の中をどうこうしようとしてもたぶん、というかまず無理だろうから、やれるだけのことをやってせめて自分の周りを良くして、その環境が本来なら自分には変えようのない自分の管轄外に良い影響が与えられるならそれで良いし、無理ならそれもまた仕方ないし。
そしてその自分の周りを良くするっていうのは、外から奪い取ったもので我田引水するとかいう話ではなくて、少しだけ他人に親切にするとかいい感じの言葉を他人に伝えるみたいな、例えるなら花を植えてそれを見た人の気持ちを癒す的な、そういうあまり大きな努力と物質を伴わない自分の内から湧き出てくるものを使って周りの精神にほんの少しだけ良い影響を与えるささやかな幸福を意識すのが良いんじゃないかと最近思うんですよね。
この先世の中がどうなるかなんてのは分からないけど、まあでも自分にはそれくらいしか出来ないし、またそれだけやってたらもうそれで100点満点の120点なんだと思うんですよね、所詮人なのでちっぽけで良いんじゃないでしょうか。
コメント