現実が思い通りにならない自分への慰めの言葉

 

 よく昔に戻りたいとか言って、ついつい過去を美化して昔好きだった物に執着してしまいがちになるんですけど、でもよくよく考えてみるとこれまで来た道って嫌なことの方が多くなかったですか?

 

 最近思うんですけど、実際の過去そのものが美しいというよりは、今現在の自分の思い出の中に存在する過去の世界が美しい、っていうのが正しいと思うんです。

 例えばの話、自分の中にある思い出の世界と、実際に体験した出来事を同時に具現化して比較することが出来たとして、果たして実際の過去は今自分の中にある記憶の世界に勝てるのか? って普通に考えたらまず無理だと思うんですよね。 尚、過去がキツすぎて思い出すら血塗られてる人がもし居たら生意気なこと言って申し訳ない。

 

 で、ここで現実が思い通りにならない自分への慰めの言葉に入るんですけど、前述の思い出云々の話と同じ理屈で言えば、

 自分の中にある理想をどれだけ現実世界で完璧に再現したとしても100%同じにはならなくて、自分の中にある理想にはどこかコンマ1m敵わないんじゃないのか?なんて風に思えてしまうんです。

 思うに、思い出も含めて自分が思い描く理想像ってのはハナから自分の心の中にしか存在できなくて、自分の中から出た時点でそれは既に理想を下回ってしまうのではないでしょうか。

 幸せの青い鳥は最初から家の中にいた、みたいな童話か何かを聞いたことがありますが、実際それと同じように、自分が本当に欲しいものってのは最初から自分の心の中にしかなくて、

 さらに突き詰めて言えば、自分にとって一番大切な100%完璧な理想郷は既に自分の中に存在していて掌中にあるのだから、焦らずゆっくり気楽に気長にやっていこうよ、っていう自分への言い訳を思いついたって話でした。

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